絵を描き始めてから開業するまで
このカテゴリーでは自身について、ということで私、夢山がどのようにして
絵を描くことになったか、どのようにして開業に至ったかを紹介します。
1. 物心付いた頃から絵が好きだった
2. 幼稚園で雑誌や新聞の投稿欄に応募するように
3. 小学生で夏休みに描いた絵が市の税ポスターになる
4. パソコンで絵を描く・インターネットをはじめる
5. 中学生で同人誌即売会でオリジナルのグッズを販売
6. 地元の雑貨店に持ち込み看板の依頼がくる
7. 赤レンガ倉庫アートイベントに額絵を出店来場者投票一位に
8. ランサーズに投稿するようになる
9. まとめ
物心付いた頃から絵が好きだった
大人になってから絵を描き始める人もいますが、私は物心付いたころには絵を描いていました。
母親が絵が好きで、積極的にお絵描きや工作などの遊びをさせていたからです。
父はサラリーマン、母親は祖母の自営業を手伝いしている一般家庭、特別芸術性のある両親では
ありませんでしたが、父はゲーム好き、母は漫画好きといったちょっと
オタクな家庭に生まれてきました。
幼稚園で雑誌や新聞の投稿欄に応募するように
これまた母親が積極的に新聞などの投稿欄に応募していました。
はじめは絵を描くのも難しかったのでちぎり絵をやらせていたそうです。
母親と一緒にちぎって母親の描いた下絵に貼り付ける・・・ってほぼそれ母親の作品じゃないか?!
小学生で夏休みに描いた絵が市の税ポスターになる
小学校にあがるとやっと自分から投稿するようになり
進研ゼミ、少女漫画ちゃおなどでも読者のお便りコーナーというものがあり
ハガキに絵をかいては出していました。地元の中日新聞などになると、図書券がもらえたり
同級生に「載っていたのをみた!!」と褒めてもらったりしてうれしかったです。
四年生のころイラストレーターという職業を知り、目指すことにします。
五年生の時、夏休みに描いた防火ポスターが佳作に。
六年生では税ポスターに挑戦したのですが、これが市の最優秀賞をとり、ポスターとなって街に張り出されました。
犬の散歩に出かけるとご近所のあちこちに自分の絵が貼ってあってはじめて気恥ずかしかったですが
テレビで表彰される様子も報道されて、ご近所さんなど自分の周りの人がすごく
喜んでくれたのを覚えています。はじめて自分の絵が多くの人を笑顔にした瞬間でした。
小6の卒業文集には人を笑顔にするイラストレーターになる、と書きました。
パソコンで絵を描く・インターネットをはじめる
小学四年生ではじめたことがもう一つあります。パソコンで絵を描くことです。
父親がパソコン好きで、やり方をおしえてもらえたこと、父の仕事の都合でパッケージなどを開発することがあり、提案用にフォトショップを使っていて自宅のパソコンにフォトショップが入っていたことが何よりのラッキーでした。
私はマウスでは上手に絵が描けず、相談するとペンタブレットというものがあることを
教えてくれ、買ってもらうことができました。二つ年上の姉が趣味でホームページを作っていたので、私も描いた絵をのせてもらいました。
六年生くらいになると、自分でもHPを作れるようになり、絵を展示したり、お絵描き掲示板などで交流をしていました。
中学生で同人誌即売会でオリジナルのグッズを販売
中学生になると好きなキャラクターのグッズを買いにコミックライブin名古屋などの同人誌即売会に
出かける友達が出てきました。私もついていって、そこでオリジナル作品も販売できることを知ります。
単なるオタク活動だけじゃないんだ!と会議机半分のスペースに出店しますが、初めのころは
ほどんど絵が売れず…試しにゲームのキャラクターのグッズを作ってみるとよく売れたので
オリジナルと、版権作品の違い、難しさを中学生で知ります。
ポストカード、缶バッチ、ラミネートカードなどを作っては販売。
ついでに版権の漫画同人誌なども制作していました。漫画を描くようになったのは小学生の時の
「絵本係」というクラスのお絵描きクラブからでしたが、動物のキャラクターなどだったので
人物の漫画を描き始めたのはこの頃になります。
地元の雑貨店に持ち込み看板の依頼がくる
中学生のころ、地元に手作り雑貨のお店がオープンしました。
出店料などはなく、売れた場合に売り上げの数十パーセントを納めるという良心的なお店だったので、
すぐ即売会などで売っているポストカード・缶バッジを持ち込み、
お店においてもらえることになりました。
店長にもすごく気に入って頂き、あるとき
とある保育園の教室看板のイラストを描かないか、と言われ、喜んで制作しました。
データはphotoshopで描いたデジタルのもの。
ちゃんと報酬を頂いて、絵を依頼されたのはこれが初めてでした。
赤レンガ倉庫アートイベントに額絵を出店来場者投票一位に
ここまで順調かに思えましたが、その後雑貨店は閉店してしまい、店長さんも遠くへお引越し。
なんの足がかりもつかめず高校生になり、大人になり、結婚して子供が生まれ、育児に追われました。
このころの私はほとんど絵も描けず、結婚した先はインターネットが繋がっていない家で、パソコンもなく、スマホもまだ無い時代で、活動もやめるしかありませんでした。
その後離婚、実家に戻りホテル清掃のパート勤めの中で東日本大震災がおきます。
自分は何をやっているんだろうか?もう一度本当にやりたいことをやっておかなくていいのか?
そう奮い立ちました。実家のパソコンを久しぶりに立ち上げ、またHPを作りました。
そこで声がかかったのがGiant Mango主催、横浜赤レンガ倉庫アートイベント「chips展2011」でした。
来場者投票がある50名ほど参加の自由な展示会で、私はねこのゆるキャラの絵を出店してなんと来場者投票一位を獲得することができました。
もう一度絵でやっていくという、大きな自信をもらいました。
ランサーズに投稿するようになる
その後、パートをしながらできることといったらクラウドソーシングでした。
毎晩夜遅く(時には朝まで!)コンペに挑戦する中で、直接依頼などが増え、パートの収入を上回ったところで開業し、イラストに専念。現在に至ります。
まとめ
描き始めたのが早いと思いきや、結婚・就職などで一度絵を描かなくなり途方に暮れた私。
震災をきっかけに、ただなんとなく生きる毎日よりも、自分が本当にやりたかったこと、
小学生のころ夢見たイラストレーターになるという夢をもう一度実現できたこと。
ブランクがあっても、ずっと頑張ってきたことはいつか花開くということ。
お話させて頂きありがとうございました。これからもずっと、絵を描いていきたいです。